以下 日本共産党大竹辰治議員が行った反対討論です。
少し長いですが、ぜひお読みください
ただいま上程された
第42号議案 平成30年度大田区一般会計補正予算(第1次)について、日本共産党を代表して反対の討論を行います。
この議案は、羽田空港跡地第一ゾーンの一部5.9haを約165億円で取得するための増額です。
特定の事件に限り、その事件を審議する臨時会ではなく、第2回定例会が20日後に開かれ、そこで十分な審議ができるので、第2回定例会に提出すべき案件だとの意見を述べておきます。
反対理由の第一は、都が用地を取得すべき歴史的経緯があるからです。
先ず、忘れてはならない羽田空港対策の根底をなす重い出来事として、
終戦後、連合国軍により接収され、その際、1945年(昭和20年)9月21日 48時間以内強制立退き命令により、羽田空港敷地内に当時居住していた羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の3町約3000人の人々の住居はもとより、工場も穴守稲荷神社も取り壊され、拡張工事が着工されたことです。
1992年(平成4年)に発表された大田区羽田空港移転跡地利用基本計画でも、〈土地処分について〉で、「跡地は原則として東京都が取得することとされており、今後、国有地の移管条件が関係者間で協議することとなる」と述べられています。
さらに、2010年(平成22年)10月羽田空港跡地利用に関する意見書が大田区議会議長名で石原都知事に提出され、昭和56年の「確認書に基づき、東京都は羽田空港跡地を一括して取得する」要請が出されています。
しかし、2007年(平成19年)10月羽田空港跡地利用計画(素案)をうけて、2008年(平成20年)5月1日、松原区長は当時の石原都知事に対して、東京国際空港(羽田空港)跡地について(要請)を出し、 「東京都に跡地を一括して取得していただくよう改めてお願いするとともに、公共・公用優先の立場から、仮に東京都が取得しない場合においては、区が空港跡地(空港用地外)を可能な限り取得したいと考えています。」 「東京都におかれましては、区の土地取得に際しては財政的支援をお願いします。」と要請して、都の取得について曖昧にしてしまい、
それ以来、区が取得する方向で進んでしまったことです。これは、区民に対する約束違反です。
これら歴史的経緯からも、土地購入に165憶円の多額の税金投入は許されません。
反対理由の第2は、跡地の面積が当初面積200haから大幅に縮小されたことです。
歴史的経緯が根底にあり、おおむね200haが地元に返還されることになっていました。
しかし羽田空港の過密化解消などを理由に2000年(平成12年)8月、運輸省から、当面の跡地範囲を77haとし、さらに2002年(平成14年)10月には53haが提示され、 2007年(平成19年)3月20日、第47回羽田空港移転問題協議会が開催され、「空港跡地の範囲と面積約53ha」等について合意しました。
そして今回53haの一部第一ゾーン16.5haを大田区が確保することになります。
当初の200haが10分の一以下の16.5haとなり、空港周辺住民や大田区民の納得は得られません。
反対理由の第3は、羽田空港対策積立基金の当初の目的は土地取得ではありませんでした。
羽田空港対策積立基金は、1991年(平成3年)3月7日、第1回定例会で可決されました。基金の目的は、羽田空港周辺地域住民の生活環境、自然環境の保持改善を図ることとし、基金総額は20億円を予定し、平成2年度10億円、以後毎年度2億円づつ、平成7年羽田空港沖合展開事業まで積立する。なお、事業が完了しなかった場合には毎年度2億円を加えるとなっていました。
そして、跡地には区民のための、多目的広場や科学館を始め様々な計画が立てられました。
そのことが、本来跡地を都が取得すべき責任を放棄することにもなりました。
土地取得165億円あれば、区民の声に応える施設ができることになります。当初の基金の目的に使うべきです。
反対理由の第4は、たとえ区が取得しようとしても空港跡地の歴史的背景を十分に踏まえた払下げの実現を求めながら、今回補正では、土地購入5.9ha165億円は、㎡当たり28万円となり、坪あたり92万円となり、歴史的背景を十分に踏まえた払下げとなっていないことです。
また、東京都の財政的支援も入っていません。
2008年(平成20年)10月羽田空港跡地利用OTA基本プランでは、財政スキームについて明らかにしています。
それによれば、羽田空港跡地取得における財源確保の方策で、「羽田空港跡地の払い下げに関しては、過去から現在に至る大田区民及び大田区の長い歴史的背景を十分に踏まえ、地元住民にとって最も有益な土地利用を前提とした払い下げとなることが重要である。」と述べています。
空港跡地の歴史的背景を十分に踏まえた払下げの実現をもとめていますが、それが実現できず、時価相場といわざるを得ません。
また、この間東京都に対して、大田区や区議会からも要望していた財政的支援も入っていません。
何よりも2007年(平成19年)度から、区長が西野区政から松原区政に変わり、東京都取得が区取得に、用地も200haから16,5haに大きく転換したことになりました。
それは、松原区政の国や都に物言えぬ追随の姿勢がこのような結果になったと言えます。
以上反対の討論といたします