中央防波堤埋立地の帰属問題についての調停案受託拒否に賛成しました


大田区議会は29日、臨時会を開き、都が示した調停案の受け入れを拒否する議案を全会一致で可決しました。その後の本会議で訴訟の提起の議案を全会一致で採択しました。

日本共産党大田区議団は2つの議案に賛成しました。採決に先立ち共産党区議団藤原議員が賛成討論をしました。内容は以下の通りです。

日本共産党大田区議団を代表して、第71号議案 東京都自治紛争処理委員による調停案の取り扱いに賛成の討論を行います。

今回出された調停案は、江東区及び大田区の境界については、地積(ちせき)や同一用途同一自治体の趣旨を踏まえつつ、中央防波堤埋立地造成の歴史的経過や社会・経済・行政上の利益及び地勢上(ちせいじょう)特性等の自然条件などを考慮すると、江東区86.2%、大田区13.8%を示されました。

今回の調停案では第一に、この間大田区が一貫して主張してきた、東京湾で江戸中期以降の大田区民が行ってきたノリの養殖という歴史的経過を全く採用していないことです。

第二に、等距離線として起点になる水際線が、現在、行政区域として確定している水際線とするとしていることです。

このような不合理な調停案を受け入れることはできません。

先ず、歴史的経過については、「国際社会における様々な境界設定は先行境界を原則とする。」としていますが、何よりも調停案では、「大田区内の漁業組合の昭和31年から約6年間に中央防波堤埋立地の水域で漁業権を行使していた事実が、中央防波堤埋立地の境界確定を行う上において考慮すべき重要事項に当たると判断することは困難といわざるを得ないと。」と述べています。

しかし、海苔採集漁業(のりさいしゅうぎょじょう)は、当初自然に付着した海苔の採集から始まったが、海中に海苔ヒビを立てて一定の区画を占有することによって海苔養殖をするようになった時点で、一般漁場以上に漁場の区域に着目することが重要であり、「他の海域とは事情が異なり、地上の畑と酷似(こくじ)し」となっており、一般漁場以上の区域として考えられています。

養殖を始めたのは江戸初期で、江戸時代中期以降、1963年に漁業権を放棄するまで、大田区民が真冬の寒さが厳しいなかでも重労働でノリの養殖を行った「地」です。大田区民には「私たちの漁場、畑、生活の糧(かて)を得るところだった」のです。漁業権放棄によって、区内にはなんの補償もなく、関連業者、仲買や運送、なかにはノリの缶を作っていた工場などが廃業を余儀なくされるなどの歴史的経過があります。これらを無視することは大田区民にとってゆるされないことです。

次に、水際線については、明治時代以前より、海苔ヒビ柵の設置による漁業が広く展開され、その占有(せんゆう)関係が厳しく争われ、利用海面の境界が顕著化(けんちょか)してきた実態がある。このような場合には、等距離線の元となる水際線は、原則に立ち戻り、江戸・明治時代の地図によって水際線を求めることは、政治行政地理学の観点からは当然です。

調停案では、歴史的経過が無視され、等距離が現在の水際線で判断され、不合理な調停案になっており、議案に賛成しますが、党区議団は、解決に当たっては、司法の場においても、あくまでも話し合いでの解決を求めます。 

なお、日本共産党大田区議団は、帰属後約500ヘクタールの広大な埋立地が都心の地先に生まれますので利用計画については、

大田区は「国際競争力強化」や「国家戦略特区」に名を借りた、羽田国際空港を生かした立体的まちづくりとか、中央防波堤埋立地のポテンシャルを最大限に生かすための空港臨海部まちづくりなど、これまでと同じ都市づくりの大型再開発のための種地としての利用計画ではなく、全島が大田区に帰属した後には、都民・区民から歓迎される「いつでも、だれでも、自由に利用できる公園やスポーツ広場、文化・芸術等の島」にすることも提案しておきます。

 

 

 

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